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Wednesday, June 11, 2008

自分自身の死生観を述べる前提としていくつかの定義付けを行いたい。

まず、第一の命題として提示された、テロリズムと特攻の定義を行い、第二の命題として提示された生と死を死生観として定義づけ、その第一の命題と第二の命題について論じ、その上で自分自身の現段階における死について論じたい。
まず、初期認識として自分自身の結論と考える字句について一言説明を加えておきたい。
死節。節義によって死ぬこと。節義とは行いのけじめが正しいと信じることである。正邪の倫理観、さらに正邪の判定となる尺度(これを宗教観と考える)については後述する。

テロリズム Terrorism 政治的目的のために暴力を行使したり、それによって威嚇(いかく)したりする手法を、テロリズムという。政治的動機からみた場合、テロリズムは国家テロリズムと反政府テロリズムに分類することができる。前者は、国家(権力側)が体制の維持、強化のために反対勢力を封じこめようとしてもちいるものであり、後者は、反政府勢力が、権力の失墜や革命的状況の醸成、あるいは権力の奪取をねらってもちいるものである。

特別攻撃隊 とくべつこうげきたい 太平洋戦争末期、爆薬をつんだ航空機、潜航艇による体当たり攻撃をおこなうために特別に編成された部隊。略称は特攻隊。また、この攻撃を特攻といい、命中率の高さと大きな破壊力が期待された。

死生観 しせいかん 生命をもつ存在である人間の死をいかにとらえるか、死についての考え方を死生観という。生死観ともいう。

死生観の形態はいくつかにわけられるが、そのひとつに現実の生命が永遠につづくことをねがう死生観がある。そのために不老長寿の薬や、生命を永続させるための方法の探求がおこなわれてきた。また、もうひとつの代表的な死生観が、死によって肉体はほろんでも、魂は不滅であると考えるものである。天国や浄土にいくのは、死後に肉体から遊離した魂である。さらにそこからは、魂が再生をくりかえす輪廻の考え方も生みだされた。多くの宗教が、魂の永続を説く死生観をもっており、それにもとづいて救済がおこなわれる。魂は不滅であるとする死生観からは、あえて死に価値をおく殉教や散華といった行為が生みだされた。

さて、第一の命題について論じる前提となる殉教について示す必要性を感じる。従って、以下の文を提示したい。

殉教
キリスト教以外の宗教でも、殉教者は存在する。イスラム教では、922年に処刑されたスーフィズムのハッラージュなど神秘主義者の中に殉教者が生まれた。

仏教では、宗教的迫害は法難とよばれ、信仰のために殉教した仏教徒も存在する。法難をうけることは、一般の殉教と同様に、信仰の正しさを証明するものであると考えられ、それは、宗教的な迫害をのりこえていく論理ともなっていった。

現代のイランなどでは、イラン・イラク戦争での戦死者を殉教者としてたたえ、教科書でもとりあげている。パレスティナでくりかえされてきた自爆テロは、殉教としての側面をもっている。

以上の引用はエンカルタ総合大百科による。

さて、第一の命題であるテロリズムと特攻の相違について考えるところを述べたい。
テロリズムとは自らの政治的信条、宗教的信条を暴力的に他人に行使することと理解する。更に特攻とは国の(特に第二次世界大戦時の日本の)ために望むと望まざるとに関わらず死をもって攻撃をすることと理解する。
テロリズムは例えば死を前提としての狭義のものから広義の単なる暴力的行為まで含まれるが、第二の命題との関連から死を前提の狭義のテロリズムを特攻と対比させて論じたい。
特攻は政治的信条や宗教的信条とは大きな関わりを持たない。当時の日本国と国民を守るという前提での行為であった。いわば自らへの見返りを求めない行為といえる。
テロリズムは政治的宗教的信条の成就を目的として行われる行為であり、従って自らへの見返りを求めている行為と言える。たとえて言えば前者は自らの子に惜しみなく注ぐ愛情を表す言葉であるアガペーを引き合いに出さざるを得ないし、後者は感情的表現としての情愛を表すエロスを意識する。

第一の命題についてはこの時点では結論を述べず、次なる第二の命題に論を進めたい。
提示された命題は生とは何か、死とは何かというものであったが表裏のものであるため死生観として論を進める。
生物は生命を持つ物体である。植物、動物ともに生命を持つ。生命あるものは必ず誕生と死を迎える。死は生命が滅することであると理解する。
さて、人間の死について論じる場合、魂の問題と肉体の問題と二つに分離し、魂の入れ物としての肉体の死は魂の解放であるという観点で論じられることが多い。従って魂の救済がどのように行われるかとの関心から人間が作り出した理がすなわち宗教であると考えられる。
生命の輪廻が将来に於いて科学的に証明されるのではないかという議論があるが、ここではその是非に触れない。しかしながら、宗教が魂の救済を前提として論じられるためには生命の輪廻に触れざるを得ない。死後の未知に対する漠然とした畏れを宗教が取り除くことに成功している理由に生命の輪廻という概念があるためである。さて、生命の輪廻がいかなる形で行われるのか、という答えがキリスト教では天国と地獄、あるいはイスラム教に於いても同様の考え方であり、宗教的に義と判断されることによって絶対神による魂の救い、すなわち永遠の楽土の住人となりうる、という理想の具現である。
仏教に於いてはこの魂の救済のための生命の輪廻を生まれ変わりとして捕らえ、迷いによって滅し、悟りによって生くると考える宗教である。すなわち悟りの境地に入ることによって自らが仏となる方法を得るというのである。悟らざる者は魂が救済されず難行苦行を続ける、言い換えればそれはその度合いによってどのように苦しみを受けるのかという思想に他ならない。
悟りを正しい行いと位置づけるなら、帰依法、帰依仏、帰依僧、すなわち仏の道に立ち返って慈悲の心で生活をせよ、そうすれば魂の救いがあるとするのである。
さて、一旦宗教から離れて更に論を進める。
人間の生命、地球の生命、宇宙の生命と仮定する。動植物の中の人間の生命は例えば百年とする。地球はおそらく百億年を数える以前に消滅すると考えられている。大局的に宇宙の生命は無限であると考えられる。すべてが年という相対的な物差し、いわば人間の生活単位から生み出されたものである。
さて、生きるということに関しての結論的文言を最初に死節という言葉で提示した。正しいと考えるけじめのために死を迎えたいという自らの信念による。自らが望んで死を迎えたいということではない。また座して死を待つという心境にもない。しかしながらあえて言えば生きるという気力を失ったとは考えている。生きているための節度、その節目が過ぎたのではないかと思えるのである。生きることは常に何のために生きるかという命題に自分を置くことに他ならない。喜びたいためであるか、悲しみたいためであるか、更には生きているために喜べるか、そのような感情が急激に希薄になった。言いつのれば他人との関わりがあまりに煩わしく感じられるのである。肉親であろうが他人であろうが同様でしかない。相対的な存在としての自分の位置づけが誰に対しても取り得ないのである。
次に、では現在何故生きるのかということに言及する。
生きているのは単に怒りに根ざしたものではないかと思う節がある。自分ではよく分からない。相対的な存在として人と関わると、おそらく人は不完全であることを認知できるから他人の存在が認めうるのである。しかし自分にとっては自らが不完全であり他人も不完全である。歪んだレンズを通せば更に像は歪んで認識せざるを得ない。従って人に対する許容の範囲が狭められ、認知が難しいものになってくる。せめて許容の範囲にあって欲しいと希望するがその範囲に存在を認めうるのは皆無といえる。
その不完全である部分、欠如していると考える部分を提示したいと考えて文を書き出した。自分の知識とか理念を他人に提示したいのである。強制はしたくない。従って相手がその知識とか理念に興味を持つことによって読んでもらえばいいのである。これはなにも問題を複雑化しようとしているのではない。
最近特に大きな怒りを感じたものがある。とある直木賞作家に対してである。彼は動物に関して書き続けると表明をした。しかし、その知識が本来必要と考える基礎的知識に到達していないのである。
同様の怒りを以前にも経験している。犬の雑誌に連載し、いかにも識者然とした書き方をしたものが単行本として刊行された。中身が間違いが多いのである。彼の著者に電話をして次の機会にはさらなる研鑽を積まれ正しい知識の啓蒙に努めていただきたいと伝えたときに、返ってきた言葉は「一般の読者はそこまで要求しない」
いやしくも動物文学を標榜しあるいは専門犬種の知識を披露するなら最低限守らねばならぬルールがある。専門分野について知らないことは言ってはならないということである。専門家と称する者が間違った知識を披露してはならないのだ。そのような書籍は百害あって一理もない。
さて、そのような怒りで文を書き出した。あくまで他人がどのように認知するか世に出るものかどうかは知らない。しかしながらそのような間違いに気づいた一人としてそれを書き残さずに済ませてよいか。明らかに間違いであってもそれを間違いであると認識できなければそれが正しいこととして世に通用してしまうのである。そして、そのようなことはあまりにも多い。
一つの例をあげてこの問題から離れたい。例えば化学の教師を志す者が次のような回答を寄せたときに彼を教師として採用認知できるか考えていただきたい。
水は100℃で気化する。
しかしながら、知らない者はこれを正解として認知してしまう者がいる。

命題に戻る。
幾たびか死を直前にした。幾たびか身近な死を経験した。身内や知人、肉親の死を見た。更には自分の飼育する動物の限りなく続く死を体験した。時に人の死より犬の死のほうがはるかに悲しく、命の存在の尊さを考えさせられもした。何も求めず愛情を注ぐ犬たちの死ほど尊いと感じる時もある。人が人としてその存在の確かさが失われる死に直面すればその命の軽重を感じざるを得ない。
命の軽重とは何か、自らが認知しうる関わりの軽重であると考える。
命の軽重、自らの関わりの軽重についてかくありたしと思う言葉がある。
「解けやすくしておいて、ぴしと折り目のある交わりでありたい。」
さて、そろそろ自らの現在の結論を述べる。
生きるとは何か、自らが望む死を迎えるために歩むことと考える。
すなわち自分にとっては死節。
死とは何か。突き詰めれば魂の解放。特に救いは要らない。いつでもあるがままに受け入れるつもりである。





参考
帰依法、帰依仏、帰依僧、
法すなわち正しい道あるいは規範
仏すなわち大自然に対して敬虔であれ
僧すなわち先達の言葉に耳を傾けよ
引用文献 稲見一良 「帖の紐」
『ぴしとしていたい』全文
「たとう」を辞書で引くと、〝畳(たとう)、和服などをしまう丈夫な包み紙″というように記されていて、帖の字は見あたらなかった。
むすび紐 びしと帖の 春小袖 上野さち子
ぼくが「たとう」という言葉を知ったのは、この句による。一見するなりぼくは強く惹かれた。たとうが何であるかを知らないまま、句の一つ一つの言葉がもつしなやかな強さと、何かこう襟を正すような凛とした気配に魅された。
 ばくは隣室のかみさんに声をあげた。
「おーい、たとうて何や、たとうの紐てどんな紐や」
 改めていうまでもなく、たとうの紐は、着物を包む和紙の包みの合わせ目に、上下に一対ずつある紙縒のことである。
 かみさんが手をとって教えてくれたこの紐の独特の結び方に、ばくはすっかり感心した。結ぶといっても、たとうの紐はいわゆるこぶ結びに縛るのでなく、蝶結びにするのでもなかった。
 左右一対の紙紐を中側に引っ張りながら、片方をもう一方の紐のつけ根で折って絡め、もう一方は他方の紐をくぐらせる。ただそれだけで、左右の紐を引くと紐はぴんと張って弛むことはない。結び目がないからいつまでもくたびれず、しやんと真っ直ぐでいる。これが針金なら、何度も使ううちにポキッと折れてしまうだろう。
 さらに、たとうの紐が優れているのは、解くのが至極簡単な点だ。くぐらせた方の紐を外せば、はらりと解ける。シンプルでしかも十分に機能的なのだ。昔の人の知恵の洗練された道具の一つだと思った。
 こんな日常の物の部品でも、近頃の物は品悪く粗末になっていた。たとう紐は細いガーゼの包帯のような布になり果て、しかもたとう紙に糊づけしてあるのだ。かみさんが久しぶりに引っばり出してみた、たとうの新しいものは、紐の糊が乾いて蝶結びのままはがれていた。冬の蛾のようにぽとっと落ちた。近頃は、こよりのような物すらみられなくなった。履歴書を書いた罫紙の古いのを裂いて、縒って作ったものだが、今はこの和紙の罫紙がない。印刷の味気ない履歴書になった。
 さて、たとうの紐は撓むことで強くなれるのではないだろうか。百折不撓などと、いえば大袈裟だが、折り曲げてもやさしく柔らかに撓むことで〝ぴし″としておれるのだろう。
 たとうの紐は、手と手を絡めあうように結んで縛らない。人と人との結びつきも、こうありたい。解けやすくしておいて、ぴしと折り目のある交わりでありたい。

Tuesday, June 03, 2008



+  心    
     ┃   
     ┃   
  正礼 ┃ 欠礼   
     ┃ 
 ━━━━╋━━━━
形    ┃
  失礼 ┃ 無礼  
     ┃   
     ┃   -   
      

武士道とは礼に始まって礼に終わるものだ。
後世に、「無礼討ち」とかという言葉だけが一人歩きをし
乱暴な武士の姿だけが思い起こされるようになったのだが
実際のところはまったく違うのである。

礼というのは心と形が伴わなければならぬ。
心と形が伴ってこそ正しい礼と言える。
心があっても形に表すことが出来なければ礼を欠く。
形だけで心が伴わなければ礼を失う。
心も形もなければ無礼である。

ご存じのように武士の様式美が完成されたのは江戸時代初期。
士農工商穢多(エタ)非人の身分制度が完成されることで
少数であった武士は、身分の頂点である礼と節度を求められた。
それだけ自分を律することが正しいとされたのであった。

新渡戸稲造が書いた「武士道」にあるのは次の8項目だった。
「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」
これは新渡戸稲造が武士道を知っていたから書いたものでなく、
外国の宗教的側面に対抗して書かれたものだと説明されている。

日本の国民的な財産のひとつとまで言われる曲亭馬琴が書いた
南総里見八犬伝にも直接的には表現していないものの
八つの珠(宝飾的な石)に表されているものを新渡戸稲造が
解釈したととらえても間違いではないだろう。

もともと武士は無頼の徒が自然発生的に階級的な地位を
手に入れたのだと私は思っている。
どうも斜めに判断するような癖(ヘキ)を持っているのだ。
割り引いて考えてもらうと良いだろう。
だが、戦争に特化した職業人だったのだから、身分的に
それほど高いものではなかった。

人を殺す技を得ようと練習しただろう。
それが体系化されると武術となった。
効率的に、この場合はこうだという法則性が生まれたものを
術と呼んだのだ。
これはあくまで技能的な部分である。
これに精神性が加わったものを道とした。

江戸初期に武士道と呼称されたものはなかったはずだ。
「もののふの道」という言葉はあったかもしれない。
儒教的に精神的拠り所としたのは心得ということで
あまりにも当たり前のことだから、言葉としてしまうことは
恥ずかしさでもあった。

その武士の心得を武士道として公にしたのは田代陣基が
筆録した「葉隠」ではなかったか。
肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としてどうあるべきかを
聞き書きしたものである。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、あまりに有名。
美しく身辺を整理して死ぬことこそ武士の最終目標であると
説いたのである。

自分を磨き抜いて、人間的に高みを極めたいと思ったであろう。
先述した新渡戸稲造の8項目のすべてを完成させて、
忠孝の道に従って死ぬことを理想としたのだった。
現代のように、自分の勝手な理屈で死を迎えることは
無駄死にであって、これは忠孝の道に反し、犬死にと
言うことでしかない。

心と形を伴う正礼というのは、そのようなことではないかと
最近は特に思えるようになったのである。
明治になって、あるいは江戸時代にも、外国人の目には
礼節を知る素晴らしい国民性だと写ったようだ。
このような精神性の高さや潔さを持っていた日本人。
いまはどこにも、そのかけらが見あたらなくなって
しまったようで、寂しさが募るのである。

Monday, May 26, 2008



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